福江市内から福江(五島つばき)空港へと向かう空港線の道路を鬼岳方面へ左折して程なく池坂観音があります。
古代祭祀の遺跡で、女性器を象徴する洞窟があり、安産の神様である観音様が奉られています。
池坂観音に関してはこちらに詳細が書いてあります。
池坂観音
池坂観音では五島市上大津町の女性たちが中心となって清掃などのお世話をしています。毎年旧暦三月十八日が池坂観音の縁日です。現在はお世話をしている方々が池坂観音の小屋に集まって会食をします。
昭和30年頃から50年くらいまでは旧暦の三月十八日の縁日に、女性を中心とした老若男女が集まり、終夜酒盛りが行われる女性中心のお祭りで、女相撲が奉納されていました。
女相撲は、全国各地でかつて民俗芸能として散見されました。九州の民俗芸能としての女相撲については、研究がありますが、五島列島について触れられているものが見当たらない(*)ので、紹介しておきます。
*一階千絵「九州地方における民俗芸能としての女相撲と女相撲興業の関係に関する研究」によれば
「民俗芸能として行われる女相撲は、壱岐、五島にはほとんどみられず」と記載されています。
(科研研究助成事業 研究成果報告書)
現在池坂観音をお世話している上大津町の女性たちにお話を伺いました。
お母さんやおばあちゃんが女相撲をしていたとのことです。
当時の写真を見ると、賑わいの様子がみて取れます。
参加者は上大津公民館周辺に集合して、空港線沿いの道路を手作りの御神輿を担いで池坂観音まで行列して歩いたそうです。
池坂観音には小さな小屋があります。現在はこの中で会食をします。
昭和47年9月17日(日曜日)中日新聞サンデー版に
金坂健二氏撮影による女相撲の様子の記事があります。
建て替え前の小屋が写っています。
この小屋の中で酒盛りが始まり、宴もたけなわになると男性たちは相撲甚句を披露し、女性たちは肌着になって外で女相撲が始まりました。
実際に相撲をとっていた方々は鬼籍に入っており、乏しい情報源によると、女相撲のメンバーは昭和25年前後には浄土真宗のお寺・善教寺近くで練習をしていました。
女相撲のメンバーの中で田口モヨさん(昭和30年当時48歳)が一番若く、
福江に実在する「翁頭山」や「鬼岳山」など福江島に実在する山の名前を四股名につけていました。
敬老会への慰問活動なども行っていたようです。
現在は子供の頃に女相撲を見た大津地区の女性たちが池坂観音の世話をしており、旧暦の三月十八日に池坂観音の小屋でお茶を飲んだり、ご飯を食べたりしてお話をします。残念ながら女相撲は行われていません。
新型コロナウイルスの影響で、2020年は池坂観音の縁日に人々は集いませんでした。2021年も集わないとのことです。
※こちらの記事は、「公益財団 日本離島センター」の2017年度 「離島人材育成基金助成事業」により作成した記事に加筆しております。
Imformation
池坂観音 | |
住所 | ADDRESS | 〒853-0013 長崎県五島市上大津町 |