text & photo : 大西 健太郎
Chapter 1
「五島の“河童”伝承をとっかかりに、子どもと大人が一緒に楽しめる場を作りたい」
〈Slow Cafe たゆたう。〉の店主であり、アートプロジェクト〈五島 海のシルクロード芸術祭〉などを手掛けるプロデューサーの片岡優子さんからのお話しを受け、芸術祭プログラムの一環でアーティスト・イン・レジデンスを一週間することになった。
滞在拠点は、〈Slow Cafe たゆたう。〉だ。〈Slow Cafe たゆたう。〉はもと岩盤浴の施設だったため、シャワーや洗面所などが複数あり、滞在可能な設備が整っている。
今回、企画の話しをする中で終始一貫して「子ども」・「島内/外の人と人の交流」・「世代や住まう地域が混ざり合う」などのキーワードが何度も語られた。
それは、片岡さんが「五島 海のシルクロード芸術祭」を中心として長年アートプロジェクトに取り組んできた背景とも重なる。「子ども/大人」・「島内/外の人と人」または、「障がいを抱える人」など、住まう環境が異なることで、普段はなかなか出会えない人と人との交流を誘発したいというねらいが強く感じられた。
Chapter 2
すでに身近にある、未知なるもの
「(自分の)おばあちゃんの世代以前は、実際に河童に会ったことのある人が多かった」
「近所に河童の出没スポットがたくさんある」「ニホンカワウソ(絶滅種)との関連」
「火災から人間を救った“火消しカッパ”」「イタズラのし過ぎで人間に怒られていた」などなど、
所謂ステレオタイプのイメージと違い、少なくとも私自身の中にある「河童」の概念を大きく逸脱していく話しにとても惹き込まれた。
特に、五島の河童は、とにかく相撲が好きなのだそうだ。山や森で河童に会った人は、必ず「相撲をとろう」と持ちかけられたらしい。「身長110センチ」という描写からは想像もできない怪力らしく、まず真正面から相撲をとったら勝ち目はないらしい。河童の脇や側面から入り込み、腕を掴まれることが弱点なのだそうだ。人間が力一杯に河童の腕を引っぱって、河童の腕が抜けてしまった民話がたくさん残されている。まるで、「スポンッ!」と聞こえてきそうな、喜劇的な描かれ方がされているのも大きな特徴の一つだ。
ふと、はじまりのテーマを思い浮かべた。「異なる背景や立場にある人と人」という言葉の間に、五島の「河童」を重ねてみると魅力の予感が沸いてくる気がした。
異なる環境に身をおいて生活するもの、身体が持つ特性の違いや障がいの有無、住まう地域やコミュニティーによって異なる言語…などなど。
そこには、お互いにとって「ワカラナイ」ものが間に存在している。そして、五島の「河童」と人や生活の間にもまた「得体の知れない」「未知なるもの」が描かれている。さらに、どちらも「すでに身近にあるもの」ということが共通している。
今回のリサーチで見聞きした「河童」にまつわるお話し、エピソード、資料には、どれも「河童」の気配が生っぽい。「河童」が伝説や昔話という容れ物に入らず、まだ現役のまままちをふらふらしているような生っぽさがある。そのことを語り継ぐ世代の重なりに、まちに現存する風景に、まだ生きた河童が存在している。
そのことを語る人たちの意識の中に生な「何か」がある、というところが面白いと思った。
Chapter 3
河童がいる近所の小川
片岡さんの「おばあちゃんが、河童を見たことがある」と言う話しを聞かせてくれた。お家の近所に城跡のお堀があり、そこを流れる小川に河童が出没するお話しをよく聞かされていたそうだ。その小川は、片岡さんが小学校へ通う途中にあった。
「水面にゆらゆら動く水草をぼーっと眺めながら、あのあたり(水草の茂みの中)から出てくるのかなと想像していた…」片岡さんは、当時のことを思い出しながら、今も残るその小川へ私を連れていってくれた。
この土地には、かつて河童の集団が人間の起こした火事を救ったという「火消し河童」の民話がある。また河童は、人間が川や池の水を汚すことに警鐘を鳴らすために、いたずらや悪さをするとも言い伝えられている。そのために、河童は水の神様、消防の神様としてあがめられてきた側面もある。だから、五島の河童には、大好物のお酒、米、魚をお供えする。プラス、もちろんキュウリも忘れてはいけない。
一方で、河童の大嫌いなものもある。それは、瓢箪(ひょうたん)なのだそうだ。水の中に引きずり込もうとしても、瓢箪は浮力が強く水の中で反転するため、河童は上手く水中で抱えることができず、勢いよく河童の腕をくぐり抜けて水面に浮かび上がってしまうからなのだ。
たくさんの民話や逸話を聞けば聞くほど、聞く人聞く人によって、どんどんイメージが移り変わる。これは、ただものではないぞ…
片岡さんが指差した場所だけ、水中が見えなくなるくらい水草が水面を覆い、浮き沈みしながら流れていた。
その辺りだけは、同じ小川の中でも少し表情が違った。水草の量といい、水流の深さといい、他のポイントと比べただけでも説得力があった。
その瞬間、ふと自分の中に小さなモヤッとした「暗闇」が浮かび上がった。それは、「河童」を恐れる気持ちであり、河童なのかどうかも分からない「得体の知れないもの」を畏れる気持ちなのかもしれない。
五島の「河童」を巡るリサーチ(なのだろうか…)が始まった。
Chapter 4
「“河童”のことを調べていまして…」
五島に来てから、折々に発したセリフだ。すると、大抵相手方の表情が柔らかくなってくれる。私が一人で町中をふらふらしていると、やはりどこか土地の空気と異なるのだろう、「おや?」という調子で様子を伺うように見られることが多かった。不審がられる、とまではさすがにいかないにしても、相手との間に一瞬ピリっとした緊張が生じるものだった。
ある日の朝、拠点の「Slow Cafe たゆたう。」から歩いてすぐのところに図書館があるということで、歩いて行ってみた。通りがかりのコンビニでホットコーヒーを買って持っていき、図書館の前まで辿りついた。館の前には、休憩用の小さな広場があったので、そこでコーヒーを飲んでから入ることにした。ボーッとコーヒーをすすっていると、一人の男性がやってきた。男性は、白髪まじりの頭髪に、年季の入ったシャツとベストを着ていた。ベストの胸ポケットから煙草を取り出すと、ゆっくり煙が漂った。さて、図書館でどんな資料を読もうかなどと考えて、しばらくぼんやりしていると…
「お仕事で来られたんですか?」
男性が話しかけてきた。それに、早くも私が市外からの人間だということを見破られてしまった。
「そんなに(様子が)違うのか…」と思いながら、改めてたずねられるとちょっぴり緊張するものだ。
そう、こういう時は、土地にどんな気持ちでやってきているのかを率直に伝えよう。
「河童」の事が知りたいとはっきり伝えようと思った。
「美術の仕事をしていまして。今回「河童」をテーマにしようということで、調べにやってきました!」
すると、男性はパッと煙草を持ち替えて、
「あそう、じゃちょっと待ってて(これだけ吸ったらすぐに)」
何て言うことだ。まるで、最優先。
まるで、男性が今まで私を「その件」でお待たせしていたみたいに。
ところで、この男性はどちらさまだろう?そう尋ねようとしたところ、
「私は、ここ(図書館)の臨時◯◯です。」
確か、そんなように聞こえたが、はっきりと聞き取れなかった。
でも、どうやらお話しを聞いていると、以前図書館の職員をしていて、現在は臨時でサポートをしているのだとか。
煙草を吸い終わると、男性は私を館内へ案内してくれた。
着いた部屋には、「資料研究室」と書かれていた。どうやら、普段男性が仕事をしている部屋なのだろう。
「五島では“ガータロ”などと呼んでいます。」
一瞬、家族か誰かの話しかと思うほど親しげな口調だった。五島では、河童のことをそう呼ぶらしい。
それにしても、ついさっきまで見ず知らずの男だった私を、「河童のことを調べたくて」というだけで、特別な部屋にまで通してくれて、今目の前でせっせと資料を出しては、一つひとつに解説まで付けて聞かせてくれようとするこの男性は…私は、あっけにとられながら、出される資料を読んでみようとするのだが、なかなか入って来なかった。せっせと動いてくれる男性の背中を見ていると、資料よりも彼の気配が気になって仕方がなかった。
目の前には、十数冊の河童にまつわる資料が並んでいた。
どの資料も読み応えがあった。私が一冊とっては、男性が少し解説を入れてくれて、資料の導入をしてくれる。一冊、また一冊…私もだんだんと資料の見方に慣れてきた。すると、男性がぽつりとつぶやいた。
「以前、もっと河童に詳しい職員がいたんですけどね。退職してしまいましてね…」
そう言うと、男性は机の上に何かを大切そうに置いた。
「その職員が作ったんです。」
河童の人形だった。陶器で作られていて、しっかり釉薬までかけられている立派な味わい深い河童の人形だった。その表情は、ユーモラスたっぷりで、河童たちがこちらに話しかけてくるようだった。
「そいつ(退職した職員さん)も好きでしたね。(河童について)たくさん知っていましたよ。」
その口調から、親しみがにじみ出ていた。同時に、少し寂しい気持ちも伝わってくるようだった。とても不思議な気持ちになった。男性は目の前に置かれた河童の人形を作った職員さんの話しをしているはずなのに、それが「河童」の話しをしているようにも聞こえた。
そういえば、この部屋に案内してくれた時から、誰か親戚の話しでもするかのように、とても身近な存在について語るように聞かせてくれていた。「伝説」か「秘話」のように、何か特別視するわけでもなく、たんたんと。
そして、ちょっと嬉しそうに。
最初の片岡さんのおばあちゃんの話しにしても、図書館の男性にしても、私の中でいつしか河童リサーチの力点が変化しつつあった。
初めは、河童の「正体」のことが気になっていた。だが、むしろ、今の人々の心の中に映る「ガータロ」の姿を追いかけてみようと思った。その人その人がガータロと言った時に生じる心模様がどんな質感を帯びているのか。ひいては、人の心の中にある「ガータロ」が、人から人へ、大人から子どもへ、土地の者から他所の者へ、どんな伝わり方をするのか…
いくつかの資料のページをもう何枚めくったころだったか。ふと、顔を上げると、いつの間にかあの男性の姿がなかった。部屋に時計はなかったが、お昼にでも行ったのかなと思い、自分も退室することにした。最後に、机に置いてあった河童の人形たちを、何となくきれいに並べた。
部屋を出る時、振り返ると河童の人形たちが並んでこちらを見ていた。
Chapter 5
その日の「ガータロ」~夕方の港には、ガータロが人間のフリして釣りをしていることがある!?~
「未知なる」「得体の知れない」「常識を逸する」ものやこと。それらを五島の人々の日常や生活ととても近い距離で結びつけている、ちょっとまぬけで可愛い存在=「ガータロ」なのだろうか。五島での滞在をしながら、私の中に現われては消える「ガータロ」の姿が日を重ねるごとに楽しみになってきた。
ある日の夕方、少し時間が空いたので、私は近所の港まで散歩に出かけることにした。実は、東京から釣り竿をこっそり忍ばせて持ってきていた。事前に、拠点から港の距離が近いことやリサーチ作業のスケジュールを見ていて、朝や夕方のすき間をぬったら、憧れの五島の海に釣り糸を垂らすことができるのではないかと画策していた。今晩は、まず釣り場の確認だ。宿からの距離、途中に釣り具店などはあるか、そして現地の釣り人がどんな仕掛けを使っているか、見に行くだけでも楽しみなのだ。
港に着くと、辺りは薄暗くなり始めていた。太陽は、山の向こうへ沈み、空は透き通る茜色と深い群青色が滲みとてもキレイだった。数人の釣り人がぽつりぽつりと岸壁に立っているのが見えた。ルアー(疑似餌)を使っている人もいるが、生の餌を付けて釣る方が面白そうだ。釣り人たちの仕掛けや竿をしゃくる動作を観察しながら眺めていた。すると、他の釣り人たちと少し離れたところで、男が1人で釣りをしているのが見えた。男は、肩に大きなタモを背負って、5メートル強の竿とやや旧式のリールを使っていた。その佇まいから推測するに、この港を昔から地元で馴染みの釣り場にしており、時には大型の獲物も釣り上げ、独自の釣り方を貫いてきたベテランといった感じだ。私は、面白くなって男の近くに寄って見ることにした。
初対面の者同士、相手にいきなり話しかけられても言葉に戸惑わせてはワルいと思い、先ずは、男の釣り座からやや離れたところから、海面に垂れ下がる釣り糸を眺めることにした。
私が、離れた位置から男の横にやってくると、男はすかさずキョロリとこちらの方を意識した。目線をやや斜め下に落としながら、首を半分こちらにまわした。かと思えば、またゆっくりと首を釣り竿の方角へ戻した。男は、肩こりなのか、首と肩を左右に縮めては、グリグリと回したり、落ち着かない様子だ。無言のまま、男の挙動だけが夕闇に映り、少し不気味な雰囲気に感じたので、私は何か声をかけてみることにした。
「何が釣れますか?」
すると、男は意外にもすっと口を開いてくれた。だが…
「まぁ、、、いろいろです。」
と、どこかいぶかしげに応えた。すると男が私の方を向いた。何か言おうとしているのかと思い、しばらくじっと男を見つめていると、そのままおかしな沈黙のまましばらく経って…ようやっと、
「この辺の人?」
「いいえ、東京から来ました。」
こんな些細な会話を交わすのに、ちょっと前の沈黙ときたら一体どうしたことか。よっぽど、見ず知らずの私に緊張や不安や敵意を抱いているのだろうか。
「お仕事か何かで?」
男が聞いてきた。私もあまりこの人に緊張させてしまったら申し訳ないと思い、なるべく気持ちを楽にして応えようと思った。
「ソウサクの仕事をしていまして…」
私の頭の中では「創作」と書いて、自分が美術に携わる人間だと伝えるつもりだったのだが。
「探偵か何か?」
男が返してきた言葉に一瞬戸惑ったが、すぐにそれがどういう意味かが理解できた。
「いえいえ!はははっ、そっちのソウサクではなくて“創作”でして。そう、子どもに美術をおしえたりしています。」
そう私が応えると、男は胸の奥に溜まった息を吐き出すように、
「ああ~、そうですか!」
と、初めて少し笑いながら応えてくれた。そして、しばらくまた沈黙があった後に、
「小さなうちから、いろんなことをするのが大事なんです…」
男がそう言った。とても力の入った話し口調で続けた。
「世間の大人は、すぐに子どものすることを止めるでしょ?少し刃物を持ちようものなら、子どもが気づく前に取り上げてしまう…」
私がソウサク(創作)を子どもにおしえていると知って、何かの思いが男の中に込み上げてきているようだった。 「大事なことをしていなさるね!」
そう言って、男は私の方を向いて力強く言葉を投げかけた。男と話し初めた時から、お互いどこの誰だかも分からぬまま、どぎまぎしながら話していたものだから、まさかこんな話題になるとは思ってもおらず、私は驚いてあっけにとられてしまった。
「そ、そうですね…」なんて、モゴモゴしている私を尻目に、男は黙々と生餌を仕掛けに付け替えて、釣りをしていた。
どんな釣りをしているのか。そんな会話をするつもりで気楽に話しかけた相手から、思いもかけないものが返ってきた気がして、私は何だかどっと疲れた気分になり、一言かけてその場を後にすることにした。
「それじゃ、頑張ってくださいね」
「ここで釣るよりか、そこのスーパーで魚買った方が安いですがね!」
男は、ちょっぴりユーモアを交えて応えた。
初めの緊張感はなくなり、いつのまにか私に心を開いてくれているように感じた。
Chapter 6
「あれは、ガータロかもしれない」
宿へ戻る途中、私は自分の身体がどことなく震えている気がした。港で会った男に対して自分が見た男の姿は、他の誰でもなく、私自身だったのかもしれない。そう思ったら、何だか自分が五島へ来てからどれだけ“ナイーブ”になっているのかと、少し情けない気持ちにさえなった。そう思ったら、大きなため息を一つついた。
すると、ふと港で会った男の姿がもう一度脳裏に浮かび上がってきた。
夕闇に覆われた男の姿はおぼろげだ。おや、男がゆっくりこちらを振り向いた。
青緑色の黒々とした皺のある皮膚とくちばしのように尖った口。鱗のように堅い指の皮膚には水かきがついていて、その手が釣り竿を握っている。男が私の方をじっと見つめている…
あれは、夢か幻想か、自分の妄想だったのか…私は、男に対して恐怖心を抱いていた。男の挙動や言葉遣いの一つ一つが自分にとっては、少し様子がおかしいと感じた。男の背後にかかる影に不安や怖いものを想像した…
自分にとって「得体のしれないもの」を恐れる気持ち。それは、あまり見たくないものだ。できれば、日常の中で気づかずに過ごしたい。そのことを直視しようとすると、私は抱えきれない気持ちになった。
思わぬ方角へ話しがスライドしていったかもしれない。「ガータロ」のことを追いかける内に、私はいつしか人の心に映る「得体のしれないもの」と、その存在に対して抱く恐怖や不安の姿を「ガータロ」と重ね合わせていた。
ふと、港で会った男のことを「あれ(あの人)は、ガータロだったかもしれない」と思った。
自分の心の中に「いつもとちがう」「自分の経験や常識の範疇を逸する」「ワカラナイ」ものやことと向き合う時、恐怖や不安、緊張やストレスを伴う激しい感情が沸き起こった時、その気持ちを「ガータロ」という秘密の容れ物の中に、そっとしまってみる。その容れ物は、五島で見聞きした「ガータロ」にまつわるいろんな話しが模様や色になって透けて見える。すると、それまでの恐怖心や訝しく映っていた景色が一変する。
もしかしたら、「男」のフリをしていたガータロは、お腹を空かせて好物の魚を釣りにきていたのではないか。人間に混じって、人間に気づかれないようにドキドキしながら。相撲をとりたかったかもしれないが、私がよそ者だと勘づいて、気を遣って得意の相撲も持ちかけないでいたのではないか。ひょっとしたら向こうもこちらに何かを言いたかったのだろうか…と、こちらが一方的に向こうを排除するのではなく、多少なりとも向こうの声にも耳を傾けてみようと思える心が芽生えた気がした。
その日の晩、宿の玄関で片岡さんと解散した後、向かいの城跡のお堀をぼんやり眺めた。すると、暗闇の中で「ギョエッ、ギョエッ!」と不気味な鳴き声が聞こえた。アオサギという鳥の鳴き声だ。ガータロ出現スポットの伝説を辿って、いろんな川や池を訪れたが、よく水際にアオサギが獲物の魚を狙って佇んでいた。羽を広げたら一間ほどの大きさにもなるだろうか。人間が近づくと、警戒してパッと飛び立つのだ。そして、あの鳴き声が宙高く響いていた。
そう言えば、図書館で読んだ資料の中に「ガータロの鳴き声:ギョッギョッ、ギーギー、ガーガー」と書かれていたのを思い出した。
Chapter End
人の心の中に住まう「ガータロ」
ガータロが出現したと語られるいくつかの場所には、共通点があった。それが川や池の場合、「おかめはんず」(=底が深い大きな甕(かめ)を意味する)と呼ばれ、急に水深が深くなっていたり、流れが複雑に入り組んで激しくなっていたりする。昔は、そこで子どもが水難事故に遭ったり、馬が溺れたそうだ。
だから、大人は「あの場所には、ガータロが出る。気をつけろ」と子どもに言い聞かせた。ガータロを語り継ぐことが水難事故の抑止になっていた。また、ガータロたちは水が透き通るほどきれいな清流を好むことから、山中の小さな小川などにも民話が残されている。人間が川を汚したり、環境を破壊すると、ガータロたちが怒って人間に悪さをしたり、天災を引き起こすのだ。水神様として崇められ「水神社」という神社も存在する。
五島の人々と「ガータロ」の関係は、とても多面的で振れ幅が広い描かれ方をしている。一方では、人間の生活圏に密接し、時に一緒に相撲をとったり、知恵競べをして互いを試し合ったり、子どもの遊び場にガータロが混じっていたりなど、笑を誘う日常的な話しもあり。また一方では、非日常で、畏れや恐れがあり、けして人間が安易に踏み込んではいけない領域の話しもある。
「ガータロ」を巡る話しの一つ一つが、今も色濃く息づいている。ガータロが住んでいる場所も人間が住んでいる場所も時代とともに変化しつつ、まだいくらかの接点が大切に守られているからなのだと思う。
もしかしたら、五島に「ガータロ」が実在するのかもしれない。それは、誰にも分からない。しかし、これだけは断定できる。
五島の人の心の中に「ガータロ」は、いる。それは、「いつもとちがうこと」や「ワカラナイ」ものへの眼差し。または、「未知なるもの」「得体のしれないもの」への向き合う姿勢。あるいは、自分の想像や経験の範囲におさまらない「他者」が目の前にあらわれた時、歩み寄るのか、距離をとるのか、自分の身の安全を守りつつ、「他者」の現実を想像する手助けになってくれるもの。
そして、五島の人の、土地の、島の知恵なのかもしれない。
大西 健太郎 | Kentaro Onishi
ダンサー。1985年生まれ。
東京藝術大学大学院先端芸術表現科修了後、東京・谷中界隈を活動拠点とし、
まちなかでのダンス・パフォーマンスシリーズ「風」を開始する。
その場所・ひと・習慣の魅力と出会い「こころがおどる」ことを求めつづけるパフォーマー。
2011年に東京都、公益財団法人 東京都歴史文化財団 アーツカウンシル東京と「一般社団法人 谷中のおかって」の共催によるこども創作教室「ぐるぐるミックス」の立ち上げより、ファシリテーター、統括ディレクターを務める。2014年より「風と遊びの研究所」を開設。板橋区立小茂根福祉園にて他者との共同創作によってつくり出す参加型パフォーマンス「『お』ダンス プロジェクト」を展開。
2018年南米エクアドルにて「TURN-LA TOLA」の参加アーティストとして、地域住民と共同パフォーマンス
「El Azabiro de La Tola」の公演をおこなう。